
なぜここまで来ることができたのか
(記:2022/09/29)
この場をお借りしてこれまでを振り返ってみようと思いますが、文を書くのがどうも苦手なので、とても読みづらいものになることをご了承ください。
高校時代に腰を怪我していたため、大学入学当初は体育会の部活には興味すらありませんでした。しかし、新歓でお話しした49期(当時3年生の)ASの先輩の人柄に憧れ、この人達の下で成長をしたい、4年間後悔したくないと思いASとして入部を決めました。
1年生の頃は新しい知識がどんどん舞い込んできて毎日が楽しく、個性的な同期が6人もいて、オフが来るたびに空虚感を感じていたほどでした。50期の先輩は当時の51期ASの熱量に対して疑問すら抱いていたようですが、それは私たちが純粋にアメフトやASとしての作業を面白いと感じ、そしてもっと深く関わりたいという思いがあったからだと思います。先輩方が試合中や日々の作業で何か特定の役割を与えてくださったこともあり、チームに貢献できているのではないかという実感が少しばかりありました。
そんな思いや実感も新型コロナによる活動休止期間に入ると次第に陰りを見せ始めます。2年生になったタイミングで同期が3人辞め、自分を含む残った4人で頑張ろうと意気込んだ直後、コロナにより長期の活動自粛に追い込まれます。専門性が増した学業を理由に次第に部活には顔を出さなくなり、アメフトの勉強は怠り、いつしかアメフトは好奇心の対象ではなくなっていました。そしてそのことに気づいた頃、また1つ学年が上がっていました。
1年間のブランクは大きく、自分の作業スピードやその質、アメフトの知識はもはや3年生ASとしてのそれではありませんでした。そんな状態では上級生として求められる役割は果たせるわけがありません。次第に同期との仲は後輩にすら悟られるほど険悪になり、そしてその全ての原因が自分にあると認識していたことから、秋リーグ戦が終わったら部を辞めようと考えるようになりました。自分が辞めれば4年生はやる気も知識も十分にある同期の3人だけになり、ASを一体感のある立派な組織にして引っ張っていってくれるだろう。そんなことを考えているうちに秋リーグ戦最終節、慶應義塾大学戦の終了の笛がなっていました。
しかし、年末年始の昼夜に渡る4年生ミーティングを経てそんな考えは消え去りました。同期の部への思いや姿勢、これまでの自分に対する厳しい言葉に、このままでいてはいけない、続けなければならないと思い、今に至ります。
思えば今の自分は入部当初に憧れ描いていた姿とは程遠いものとなりました。自分はASとして、Staffとして、そして4年生として優秀でもなければ頼りになるような存在でもありません。50期ASの礫石さんは51期に対し「みんなはもう既に十分に頑張っている」とおっしゃっていましたが、自分はそうではないことは自分が一番理解しています。そうでなければ毎晩自己嫌悪に陥ることなどないでしょう。そんな自分がここまで続けてこれたのは、こんな自分でも受け入れてくださった先輩、いつも変わらない態度で接してくれる同期、そしてAS Chiefとして明らかに頼りない自分についてきてくれる後輩がいたからだと思います。感謝してもしきれません。本当にありがとうございます。
最後になりますが、日頃より多大なるご支援、ご声援をくださる皆様に感謝申し上げます。引き続きMASTIFFSのことをよろしくお願いいたします。