自分にとってMASTIFFSとは
(記:2022/11/14)
「MASTIFFSは憧れでした」
自分は高校野球を引退した後、より高度なチームスポーツに憧れ「大学ではアメフトをやろう」と考えアメフトをするために大学進学を決めました。親からは「大学は勉強をするために行くものだ」と何度も叱られましたが、一度もやったことのないアメフトへの興味は日に日に増すばかりでした。
いくつかの志望校から横国に進学を決めたのは、国立大学でありながらも関東1部の舞台で戦い続けているMASTIFFSに「憧れ」たからです。強豪私立大学と互角に戦うMASTIFFSの姿は、高校生の自分を惹きつけるには十分でした。
入部してから画面越しで見ていた「憧れ」の先輩たちと、同じフィールドに立ってPlayしたときの興奮は今でも覚えています。
「MASTIFFSは試練でした」
自分はMASTIFFSが大好きで入部してきましたが、4年間ずっとMASTIFFSが「憧れ」のチームであったわけではありません。
多くの経験者を擁する強豪国立大学が好成績を収めるたび、自分は違う大学に行くべきだったのではと考えさせられました。
コロナの影響で後輩の入部が少なく、他大学を羨ましく思いました。
憧れのコーチがTeamを離れ虚無感に襲われたこともありました。
「MASTIFFSは居場所でした」
何度も挫折しかけて、それでもこのTeamに居られたのは、支えてくれた人たちのおかげです。
一緒に試合を見て、アメフトの楽しさを教えてくれた先輩。
自分が挫折しかけたとき、夜遅くまで話をして助けてくれた先輩。
わがままを言っているだけの自分を心配してくれた先輩。
いいPlayをしたらアホみたいに喜んでくれた先輩。
悩んでるのを知っていていつも声をかけてくれる後輩。
無理にお願いしても練習に駆けつけてくれる先輩。
未熟な自分を大切にしてくれる、大好きなこの人たちと一緒に頑張りたい。一緒に戦いたい。一緒に勝ちたい。その思いが何度も強くなりMASTIFFSを何度も好きになりました。
「MASTIFFSは仲間でした」
入部時自分はStaffと距離を置いていました。入部以来何度も同期のミーティングを重ねるなかで選手とStaffは支える側、支えられる側で区別されることのない、一緒に戦う仲間だと気付かされました。あと少しの試合、Fieldに立てないみんなの分まで、毎Play死ぬ気で戦い抜きます。
「MASTIFFSの副将として」
自分が入部した2019年、MASTIFFSは「日本一への第1歩」を踏み出すと掲げました。副将として過ごしたこの一年は、どうすればMASTIFFSが目指す場所に少しでも近づけるのかと悩む毎日でした。自分は副将としてこれまでのMASTIFFSのやり方を信じ、Teamを変えることに抵抗感を持ち何も変えられませんでした。今後MASTIFFSが目標に向かうためには、選手、コーチ、そしてMASTIFFSに関わる全ての人が、MASTIFFSを愛し、MASTIFFSに誇りを持つことで、やっとスタートラインに立てるのではないかと考えています。
「MASTIFFSは未来です」
引退まであと少しの今、おじさんになった自分がTOP8の舞台で活躍するMASTIFFSをスタンドから見ている姿を想像しています。おじさんの自分はTOP8で勝ち続ける後輩たちを羨ましく思っています。やっぱり自分にとってMASTIFFSはいつまでも「憧れ」の存在です。