【Last Essay’24 #3】AS 鈴木颯斗
「常に hungry」
記 2024.10.24
大変長くなりますが、こんなに自分のことを書く機会はないと思うので、自分の4年間を書けるだけ記したいと思いますので、ご容赦ください。
大した理由はなかった。ただ大学生らしいことをしてみようと思って、ふらっと初めての新歓に行って、何となく入部を決めただけだった。スポーツは好きだったし、母もアメフトのマネージャーをしていたこともあって後押ししてくれた。高校生のあたりから急に激しい運動をするとすぐに頭痛がするようになって、選手はできなかった。スタッフも色々やってみたい気持ちはあったと思うが、今思えば内心では、入部前の時点でASしかなかったんだと思う。
入部して1年目の春は、コロナ禍だったということもあって、サー棟には人数制限があり、サー棟組とオンライン組で、日毎に分けられていてやや不自由さはあった。サー棟に行ける日は、同期と競うようにひたすらに打ち込みをこなしていた。分からないことがあればすぐ近くに先輩がいて、なんでも答えてくれた。新歓や春シーズンで試合が始まってからの大変さを知った今から見れば、当時の4年生の礫さんには、かなりの時間を自分に割いてもらっていたと思う。1年の時の4年生に礫さんがいなければ今の自分はなかったように思う。途中からは、先輩に質問することを探すように日々の部活の時間を過ごすようになった。先輩達も、上級生になればなるほど質問しづらくなると言って、9割くらいは的外れだったと思うが、どんな質問でも答えてくれた。1年生の春が終わり夏休みに入ってもやること自体は変わらず、秋が始まろうとする頃でも、やはり先輩達が話してる会話には全くついていけなかった。
秋になってヒリヒリする楽しい試合をサイドラインから2回見る頃にはTOP8昇格が決まっていた。最終節の慶應戦では、結果としては負けてしまったが、最後の最後まで勝つ可能性を作れた。TOP8でも指折りだったであろうRB大河原選手やOL簗瀬選手といったタレントが揃っていた慶應に対して、最後まで勝てる可能性を信じて、チームで勝つということを身をもって学べた。慶應との試合後に4年生が泣きながら嬉しそうに写真撮影をしているのを見て、続ければ自分もこうなれるのかと考えたが、想像するのはまだ難しかった。
2年生になってからは、自分も担当の大学を任されるようになり、コーチとして残ってくれた礫さんや、4年生の輝哉さんに変わらず質問をし続けた。リーグがTOP8に変わり、先輩たちはTOP8のチームとの差を話していたが、まだアメフトを見始めて1年も立たない自分には、前の年に見てきたBIG8のチームとの差を見出すことは、難しかった。担当の大学を任されたが、自分にはスカウティングするための引き出しが少なすぎた。過去のスカレポや自チームの残ってる資料、YouTubeのアメフトコンテンツ、なんでもいいから手当り次第あさりながら、先輩達と話す中で地道に引き出しを増やしていくしか無かった。
この年の春シーズンは、かなり酷く春の神戸遠征では、目の前で神戸に昨年では考えられない点差でボコボコにされ衝撃を受けたが、神戸のD#ASのふたりとはLINEで今でもたまに相談したりする仲になれたことは嬉しかった。
秋シーズンが始まり、第3節の中央大学が自分の担当の大学だった。結果としては、試合中はもちろん、中央タームでは自分が思ってた以上に何もできなかった。自分が見てきたことで何か選手に活かされたことがひとつでもあっただろうか。自分が見れなかったせいで取られた得点はなかっただろうか。ひとつひとつの作業で適当にしてしまった部分が後々響くことも痛感した。試合が終わった頃には、とてつもなく無力さを感じていた。
そこからのシーズンは、来年自分がいくつも担当の大学を持った時にしっかりとこなせるのかという不安感でいっぱいだった。今年は、中央戦までの期間全てを中央に注ぐことが出来たが、来年はいくつもの大学に時間を、割り当てなくてはいけない。今の自分の作業スピードでは到底やっていけなかった。最低でも1日2試合の打ち込み、できる日は3試合できるようにと、作業スピードを意識し始めた。作業スピードが早くなりだしてからは、単純に見る試合数も増えて、色々と漁ったり質問した甲斐もあって秋の中盤まで、もがき続けていた引き出しも気づいたら少しずつ増え始めていた。そうこうしているうちに、チームは全敗でBIG8に逆戻りしていた。
3年生では、4年生が少なかったこともあって、ASの中では、ほとんど最上級生のようなポジションにいた。ASチーフになった和佳奈さんの影響もあって、去年までのASとは雰囲気が変わり、緩くなったと言われることもあったが、後輩と話しやすくなり、より後輩に教えたり、後輩から話しかけやすい雰囲気になったので、これは個人的にはかなり良かったと思っている。
3年生になってからは、ASの同期の壮真と文傑とあーだこーだと言いあうことがとても多くなった。サー棟のMGや後輩にはうるさく感じることも多いと思うが、なんだかんだお互いに高めあって今も続いていていいことだと思う。どの代にも負けないアメフトへの熱量があって新しいことも自分から情報を集めに行く積極性があり、自分の仕事を全力で全うする壮真と文傑が同期だったことはとても恵まれていた。
オフ明けから、自分たちのスカウティングを見つめ直したり、新しい引き出しを増やすいい機会にと、AS講師の松場さんの講座を受けることになり、TOP8やX Leagueの基準を見せつけられ、また1段階考える視点が上がった。3年になって、サインの理解も増し、選手とサインについて言い合う機会も多くなってきた。
しかし、自分が資料や先輩から得た知識と選手の意見とでは噛み合わないことが多かった。この時に、松場さんの講座でASは選手の感覚がない分、数字を武器に選手と議論しなくてはならないという言葉がまさにその通りだった。礫さんからも多くを教えてもらい、「自分が気になってて選手と違う意見になった時はダミーで入れて確認したらいい。」と言われ、そこからは、自分が思ってることと選手とで違う時はダミーで会話することを覚えた。これがASにできる一番の選手との会話であり、練習の中で選手が考えるきっかけをいかにして作ることが出来るか、がASの仕事だと思うようになった。ダミーは一日に何十本も入る訳では無いから、1本1本が大事で、当然ダミーがASのひとりよがりで、対戦相手の傾向と逸れてしまってはダメで、今選手にとって何が一番練習すべきことなのかどうかを精査しなくてはいけない訳だが、無難なダミーや意図もなく同じような趣旨のダミーを入れ続けるだけでは、選手の考えるきっかけを作ることはできない。そのために3年になってからも、対戦相手の動画はもちろん、YouTubeだったり、資料を漁り新しい視点を求め続ける意識は強くなり、また選手は今何が必要だと思っているのかコミュニケーションを多く取るようになった。
3年生の後半になって、ようやく色んな優先順位を正しくつけてダミーを入れられるようになった頃、2部との入替戦が決まってしまっていた。入替戦合宿には、夏合宿と同じかそれ以上にたくさんのOBの方が集まり、応援してくれた。自分がダミーを出してる選手達は、噂で聞いていた歴代の強者揃いで、1年生の時に憧れていた4年生(50期)も多く入っており、そんな人たちとアメフトができるのは、とてもワクワクしたと同時に、せっかくの休日にも関わらずこんなに集まって貰えることに自然と感謝の気持ちでいっぱいだった。
しかし、結果は2部降格だった。帝京との試合で、スポッター席にいた自分の目の前でゲームクロックが0になった瞬間、何かとんでもないことをしてしまった罪悪感におそわれ、ただフィールドを眺めていた。それから、すぐ横で樹生さんが顔を覆いながらすすり泣く声が聞こえて、今までの先輩たちが築きあげてきたものを壊してしまったんだと気づき、後悔からなのか涙が止まらなかった。スポッター席を下りる途中、保護者の方や、OB・OG、応援席にいる人たちは、みんな揃って笑顔で明るく励ましてくれ、既に前を向いて来年の応援の話をしていた。両親も温かく話しかけてくれたが、自分はそんな気持ちにはなれず、申し訳なさと涙で顔を見ることは出来なかった。階段を下りると、そこには今までのMASTIFFSを作り上げてきた石原さんがいて、泣いている樹生さんを励ますように、試合に来ていたOBと4人くらいで笑顔で話していたのを見ると、自分は通り過ぎながら、ただ謝ることしかできなかった。その後も会場を出るまで悔しさと申し訳なさで涙が止まることはなかった。こんなに悔しかったことは初めてだった。自分たちの代でTOP8を目指すことは叶わなくなった。必ず一部に戻らなくてはならないと思った。
ついに4年になった。去年の良くなかったことは、言うべき時に言うべきことを言えなかったこと、さらに気づいていれば春に出来たことを気づけずに秋にしわ寄せさせてしまったこと。秋に気づいて変えようと思った頃にはもう手遅れだった。動き出してしまってからではもう遅く、正しいことでも言うべきタイミングを間違えれば、トータルではマイナスになることを学んだ。今年は少しうるさく思われてもタイミングを逃さないように、秋で後悔しないために春から、今言わなきゃいけないことを逃してないかを気をつけた。
2024年度のDefenseは、同期の翔や遼太郎と始動前から3部作の短編映画のような石原さんの動画を見返して頭をうならせた。始動してから今日まで翔、輝哉さん、黒田さん、自分とで毎日のようにLINE上で何通もの話し合いが行われ、恐らく年が明けてから妥協したと思う日はまだない。
53期の彼らや、後輩を含め、実力もある今のDefense unitのメンバーと一緒に1play 1playに拘ってアメフトを考えてる時間は、本当に楽しく、しんどいと思うことも多かったが、試合に勝つために妥協はしなかった。春は一つも勝てなかったが、それでも、Defenseとして手応えは感じていたし、ここで折れるほど帝京に負けたことは小さなことではなかった。今でも今年の勧誘PVを見返している時に帝京に負けた瞬間の映像が流れる度に涙が滲む。絶対に1部に戻らなくてはならない。
新歓が終わると、今年度のスタッフの入部者は少ないながら、ASにも1年生が2人入ってきてくれた。自分が下級生の時に悩んでいた引き出しを、後輩が少しでも役に立てばと思い色んな資料をAS内で共有したり、4年ASであれこれ考えながら、自分たちの1年生の時の反省を活かした。
2年生の杏理は、例年の2年生以上に真面目で、自分が与える仕事に対して、それなりの量を課しているつもりだが、文句も言わずに凄まじいスピードで返ってくる。吸収する意欲も高く、分からない時は分からない顔をするから、こっちも分かりやすい。今も担当の大学を終えて自分の補佐をしてくれている。自分が2年生の時とは比べられないくらいに仕事を既に十分すぎるほどにこなしてくれている。実家も遠く今はまだ授業も多いだろうから、どうか無理はしないでこのまま純粋にアメフトを面白いと思い続けながら4年間を過ごして欲しい。
54期ASの2人を始め、今の3年生は、TOP8で強豪と対等に戦う強いチームを想像して入部したと思うが、2年続けて全く勝てずに降格し、恐らく試合や練習で楽しいと思うことより、負けばかりで辛かったことの方が圧倒的に多かったと思う。そんな中でも、多くが辞めずに続けてくれて、今では誰をとってもチームになくてはならない存在に成長していることは本当に立派なことだと思う。実力もある彼らには、必ずBIG8で4年生を迎え、TOP8を目指して欲しい。
その意味でも、来週末の上智戦は入替戦への切符を掴むために必ず勝たなくてはならない。
去年の入替戦後に、既に前を向いて励ましてもらい、今年度も変わらない熱量で全力で応援してくださる、OB・OG、後援会、法人の方々には本当に感謝しております。来週末の上智戦は、入替戦を決める大一番であり、必ず勝利して今年こそは、自分が1年の時に見た50期のように、全員で笑って涙を流して終わりたいと思います。何卒引き続きの熱い応援よろしくお願い致します。