【Last Essay’24 #6】DB/WR #7 佐伯恒成
「戦うって」
記 2024.11.02
入替戦がかかった上智大学戦前日、朝練が終わって寝るまでの時間、自分はどんな文章を書けるのか。何か勉強したりするには眠いけど、昼間から寝ると夜眠れなくなるので、一旦ラストエッセイを書いてみる。直前ですずはやがとんでもない量を書いていたので、文学的な自分を憑依させてみよう。途中で荷積みに行って、文学的な自分がどこかへ行ってしまったら申し訳ない。
「置きに行く」これまでの人生の分岐点で置きに行く決断が多かったように感じる。あらゆる事に手を出して全ての結果を欲しいままにする。そんなことできるタイプではないという自覚は高校の頃からあり、「こけたとしても、小さくこけたい」そんな感覚がいつからかあった。それと共に「選択肢の多い方へ」そういう決断の仕方をするようになっていた。悪く言えば決断の先延ばしと言えるだろう。
大学生活をアメフトに捧げた事で俺は、どんな人間に変化を遂げたのだろう。
大学1年生、例に漏れずいろんなサークルに入って、友達を作ろう、そんな大学生だった。この頃、アメフト部なんて会ったことも勧誘されたこともなかった。大学1年生12月。ここで、「サークルでの活動では自己成長ができず、惰性で日々を過ごしている自分を変えるためにあえてアメフト部を選んだ」とか書けば締まりが出るかと思ったが、そんな崇高な信念はなかった。サークルで友達を作るという目標が達成できてしまっただけに、次の目標を探していただけだったかもしれない。それか、高校の同期が大学で体育会に入ったり、何かに熱中している人達が多かったから、とりあえずそんな環境が整ってそうなアメフト部の入部を選んだだけかもしれない。正直、自分にとって大きな決断という自覚はなかった。サークルの友達からは、攻めた決断だと言われることが多かったが、そこまで攻めたつもりはなく、いわば、高校同期を見習った「置きにいった決断」だったと思う。
そんなこんなで、始まったアメフト部生活だが、途中入部だし選手なんて考えておらず、スタッフでの入部を考えていた。しかし、同期の選手から「スタッフから選手は無理だけど、選手からスタッフはいけるから」と言われ、一旦選択肢の多そうな選手として活動し始めた。(とは言いつつ、後に、スタッフから選手になった人もいたから、物事を始めるのに遅いなんてないのかもしれないとか思った。普通にびっくり。)
入部して1年目、2年生の秋シーズン、部としても初めてのTOP8の舞台。東京ドームの初戦早稲田戦、当日いきなり5年生に「お前スタメンじゃん笑」と言われ、すぐにトイレで吐きまくったのを覚えている。あの頃から試合前ルーティンは始まりました。
入部して1年目。後にも先にもこのシーズンより辛いシーズンはなく、特にタックル練では、文字通りボコボコにされた。そもそも、この前まで惰性で過ごしていた大学生が、人間に土グラウンドでフルタックルを仕掛けるなんてキツイに決まっていた。楽しいのはパスディフェンスの練習のskeだけだった。試合でも、ボコボコにされ、毎試合、「早く試合が終わってほしい」「シーズン終わってほしい」そんな事ばっかり考えていて、チームの想いを背負えておらず、勝負の土俵にすら立てていなかった。そんな自分をスタメンに置き続けてくれた当時の4年生には、今になって申し訳ないと思うと共に、初のTOPの舞台を経験させていただき、この経験を今後チームにしっかり還元していかなければいけないと思っている。この時期の練習とTOPでの試合は、アメフトの厳しさと熱中するとはどういうことかを教えてくれた。
とりあえずではじめたアメフトだったが、1年目にボコボコにされ、今までの人生で中々感じることのなかった悔しいという感情を感じる事ができ、本当の意味で熱中できるようになった気がした。
とにかくしんどすぎた。5限とか行ってる方が楽だった。
3年生は、アメフトのノウハウがわかってきたシーズンだった。体がアメフトに慣れてきたこともあり、2年生の秋よりしんどいと思うことはなかった。この年は、春シーズンは中々うまくいかなかったが、成長している感覚はなんとなくあった。夏合宿では、自分の技術にだけフォーカスして練習して、過去最高に成長できたと思う。この時期あたりに、当時の主将から「3年なんだから下級生のミスもカバーできるようになろうね」と言われ、しんど、、とか思ったものだ。ただ、これを意識して練習や試合に取り組むことで今まで興味のなかったBOX内の事も気にするようになり、結果として自分のアメフト力を高めてくれたと思う。そんなこんなで突入した秋シーズン、個人としては毎試合楽しかった。毎試合、しっかりスカウティングして、体型、レシーバーの配置からパスコースを読んで、プレセットでQBにプレッシャーを与える。(勿論、既出のパスコースだけが来るわけじゃないからその裏も考えないとだけど)あの手この手で勝負を仕掛けていたヒリヒリ感はなにものにも変えがたい。特に、前年でボコボコにされた桜美林戦では、4、5回ソロタックルできたりレシーバーに対してもしっかりつき切れたりと、チームとしては負けてしまったが、個人としては、去年からの成長を一番感じることができた試合だった。しかし、今振り返ると、「ミスをしたらタッチダウン」「ミスをしたら負ける」その為、安定感が不可欠、そんなDBの仕事の特性が、常に置きに行く選択をとる自分と噛み合ってただけな気がする。置きに行く中でいかに攻めの姿勢を出すかというところまでは頭が回っておらず、ノーミスという事にこだわっていて、ビックプレーはなかった。「攻めて、攻められ」が戦うというものだとしたら、当時の自分は、戦っておらず、ただ相手をいなしていただけなのかもしれない。DBは、ここのバランスが一番難しい。
自分にフォーカスして文章を書いていて、割といいシーズンをすごしていた感じだが、その裏でチームは2部へと降格している。1部を失った喪失感というものか、自分が4年の代で2部であることへの絶望感か、最悪だった。入替戦で目の前でやられたニーダウンフォーメーションほど屈辱的なものはない。5−10。いなしているだけでは、いつかこういう試合をされて、最悪の負けを経験する。
でも、3年が一番楽しいは本当です。
4年生になった。全然選手がいないということで自分がWRとDBの両面を志願し、オフェンスの選手としても活動することになった。そんなこんなで春シーズンはWRだけをやっていた。この時、チームの人数不足は多少は回復できたが、秋シーズン自分がどういう形で突入するかの想像がついておらず、また、選手としても中途半端になってしまうのではと、一抹の不安はあった。秋は、オフェンスで出るのか、コーチ体制がガラッと変わった、ディフェンスも人数が足りなくなってきた。そういって突入した秋シーズンであったが、結局めっちゃディフェンスで出てる笑。明日、SFのスタメンらしい。もはや、このチームで一番アメフトを楽しんでるのは、いろんなポジションをやらせてもらえている自分なのではと思う。もちろんこれは、頑張り屋さんのDBの後輩たちがチームの最後の砦として覚悟を決めて頑張ってくれていたからで、非常に頼りになるなと感じている。
チーム状況が目まぐるしく変わる中「1部奪還」という目標だけは、チームメイトのみならず、OB・OG後援会の方々の想いでもあると感じる事ができた。2、3年生時代の自分にフォーカスするだけのシーズンとは違い、試合に出場することの責任の重さを感じることができている。また、その「1部奪還」という目標だけがチームを繋いでるのではと思う瞬間すらあったが、それと同時に徹底された共通認識だったり、人間の想いの一致だったりは、強いパワーを引き出すんだなと思った。
ところで、両面してみて思ったが、全部のポジションが中途半端になる。単純に考えると、どんなに必死に2つのポジションをやろうが、一つのポジションを必死にやって来ている選手が多くいるBIGにやり合うことができる可能性は低くなる。今後BIGに上がり、1部で勝っていくには、両面が必要なチーム状況は相応しくない。実は、入替戦に負けたその日にOBと次の年のことを話していたのだが、両面は2部のチームに成り下がることだと言われたのを覚えているが、今になってその意味がわかる。なので、今の1、2年生辞めないでね。
と、つらつらと書いてきたが、みちのように何回も校閲する余裕もなく、拙い文章ではあるが、そろそろ明日の準備もしないといけない。
最後に、現状チームは、4連勝をしていて次勝てば入替戦が決定するわけで、そんな中、初挑戦のSF緊張しないわけがない。ただ、カイルハミルトンの動画を見て、イメトレは完璧。彼は、SFで逆No.1WRの縦をインターセプトしたりする。痺れる。明日はこれを目指そう。明日は、いなしながら、どっかのタイミングで絶対刺しに行こうと思う。置きに行くだけの自分を捨てて、戦いに行こう。
さまざまな人に支えられてここまできている事は、忘れたことはないです。特に両親には、とても感謝しています。自分がいきなりアメフト部に入った時も特に動じることなく、「あんたは、本当に何があるかわからんねー」とか言いながら、特に反対する事もなく、受け入れてくれて、自分が入部してから秋シーズンは毎試合見にきてくれて応援していただき、とても励みになっています。本当にありがとうございます。
最後に、日頃からご支援、ご声援をくださる、OB・OG、後援会、ファンクラブの皆様に感謝申し上げます。戦う姿勢を忘れずに「1部奪還」いたしますので、これからも応援よろしくお願いいたします。