【Last Essay’24 #8】TR 中島彩華
「犬と猫」
記 2024.11.13
幼い頃から、私の生活には猫がいた。
小さくて賢いみーちゃん、近くのアパートの階段にいるグレちゃん、三毛猫のみっけちゃん。
登校中に猫と会うと、決まっていつも撫でる。
次第に時間が来て、名残惜しさを残しながら、私はそそくさと学校に向かう。
猫はそんな様子をのんびりと眺める。
《彼等のあるものは吾輩を見て時々あんなになったら気楽でよかろうなどと云うが、気楽でよければなるが好い。
そんなにこせこせしてくれと誰も頼んだ訳でもなかろう。》
猫のような、気楽な人生を送りたい。
いつしか、猫は理想的な生活を象徴する存在となった。
それを体現するかの如く、私は所謂「気楽」な人生を送ってきたと思う。
大学附属の小学校を受験して以来、まともに勉強せずとも大学に入学した。
幼い頃から、好きで習っていたはずのクラシック・バレエも大した努力もできずにいた。
大学でMASTIFFSに入部した。
猫に憧れてきた私にとって、犬の名の団体は新鮮で興味が湧いた。
私はテーピングを巻くことが好きなのだと、入部して知った。
元々、細かい作業が好きな自分にとって、テーピングを巻くという行為自体が楽しかった。
テーピングは、選手の靭帯や筋肉の代わりとなって、身体の一部として共に闘う。想いをフィールドまで届ける。
この選手も、あの選手も、そこの選手も、私が巻いたテーピングをしてると思うと、なんとも不思議に思う。
役目を終えて、汗で濡れてクタクタになった(悪臭を放つ)テーピングを見て「ご苦労様」と思いを馳せる。
それがあるから、選手でない自分が4年間部活動を続けられたのだと思う。
夏の夜、グラウンドの電気には虫が群がり、バチバチと音を立てる。
その姿を見て感傷的になる、むさ苦しい夏の夜。
共に戦っている実感を少しでも得るために、より多くの選手をフィールドに送り出そうとしてきた。
「気楽」とは程遠い、せこせことした、悩みが尽きない毎日であった。
犬の組織にいた私も、リードが外される時期がもうすぐ、来る。
その時、猫になるか犬になるか。
それはまだわからない。
けれども、犬を目指して奮闘した4年間は、自分にとって有意義な時間であった。
今日も理工棟Aの前でビターくんは寛ぐ。
それを脇目に、私は急ぎ足で部活に向かう。