「4年間を振り返って」
記 2024.11.08
LAST ESSAYを書くにあたり、自分の4年間を振り返ってみた。MASTIFFSという組織で感じたことをありのままの文章にしてみたいと思う。自分語りを多くしてしまっている点、ご容赦ください。
1年生。高校の最後の大会で逆転負けを喫し、負けたまま部活動を終えるのは嫌だという思いがあった自分はすぐにアメフト部を次のステージに選んだ。入部してから初めて1年生が試合に出る機会としてJV戦があったが、この期間の練習は本当にきつかった。Afterでは永遠と同じことの繰り返し。正直辞めようかと考えた。その時の4年生のLBの先輩がdummyでOTをやっていて、「俺より強いタックルしかいないぞ」と言っていたが、試合の相手よりその人の方が強かった。なんなんだと思った。その時の4年生のLBの先輩方は偉大な方が多く、今考えると高い基準を示してくださったことはとてもありがたかった。秋シーズンの最終戦の慶應戦はそんな先輩方が慶應Offense相手に互角以上の戦いを繰り広げており、こんなDefenderになりたいと強く感じたことを覚えている。
2年生。春の神戸戦で3-55でボロ負けした。何もできなかった。このままではダメだと思った矢先、大怪我をして長期間のリハビリを余儀なくされた。リハビリ先の病院とグラウンドを行き来する生活が苦でしかなかった。フィールドではたくさん練習してどんどん成長していく同期に対して自分は骨がくっつくのをただ待つしかなかった。
3年生。怪我が治り、ポジションをILBに移し、春から試合に出場させてもらった。初めてILBとして出場した神戸戦でまたしても3-56の大敗。圧倒的な実力差を前にまた何もできなかった。自分にはとことん自分のスキルと向き合う時間が必要だということが明白だった。幸いにも3年生では大きな怪我をすることもなく、日々の練習の積み重ねの甲斐あって、秋シーズンの試合で良いプレーができた時、本当に嬉しかった。そんな中、迎えた入替戦。帝京大学に負けて、2部降格が決まった。自分は泣くことしかできず、同じように泣くチームメイトの顔を見ることができなかった。ただ負けたことを自覚するためにスコアボードを永遠と見つめることしかできなかった。
4年生。最終学年として自分がどうなりたいかオフの期間に考えた結果、Defense chiefに立候補した。今まで感じた弱い自分を変えたかった。Defense chiefとしてみんなを引っ張っていく側になって、どんなDefense、どんな自分になりたいか考えた。Defenseが直接点を取ることが難しいのは分かっているけど、それでもチームを勝たせられるような強いDefenseを作りたい、そのためにDefenseの精神的支柱になりたい、そう思った。それからはサインの面から徹底的に勉強しなおし、下級生の時とは比べ物にならない程の知識を得た実感があった。しかし、自分が知識を得ただけではダメでそれを下級生にまで浸透させる必要があった。それが本当に難しかった。それでも下級生は必死についてきてくれた。4年生が少ない中で少し無理をしてでも練習する、試合に出ようとしてくれた後輩がいた。本来それが正しい姿ではないのかもしれないが、そんな後輩たちがいなければ今のDefenseは存在しない。本当に感謝している。ありがとう。そんな後輩たちとアメフトができるのも多くてあと2試合。前にも横にも後ろにも頼もしい仲間がいる。横浜国立大学MASTIFFSのDefenseらしく、最後の笛が鳴るまでフィールドを支配する。
最後になりますが、OB・OG、後援会、ファンクラブ、スポンサーの皆様には日頃より多大なるご支援・ご声援を賜りまして誠にありがとうございます。シーズンも残すところあと2試合になり、それを終えた先には1部昇格のための入替戦があります。今年掲げた「1部奪還」の目標を必ず成し遂げますので、変わらぬ温かいご支援・ご声援のほどよろしくお願いいたします。