【Last Essay’24 #12】AS 大橋文傑
「最大限」
記 2024.11.29
長く書いている同期が何人かいるなかで、なかなかこれを書く気になれなかった。彼らの文章からひしひしと伝わる、絶え間ない努力で以って部活動に取り組んできたその事実に反して、自分は彼らのように強い思いを持って駆け抜けてきているとは言えないのではないか。引退直前のこの時期になっても未だにそう考えてしまう自分がいて、情けなく思う。自分なりの努力はしたつもりだが、はたしてこれまで勝利に貢献できたことはあるのか。
大学入学までの人生、勝負で一喜一憂したことは一度もなかった。長く続けていたピアノでも、習い事で通っていた水泳でも、特に他人と比較されることもなく、ましてや団体競技なんて一度も経験がなかった。小・中学校では文化部、高校では帰宅部。スタッフとしてではあるが、運動部に入ったこと自体、人生で初めての経験だった。勧誘で「ASはイン8割、グラウンド2割」と言われたことに、ここなら部活動に所属しながらも比較的簡単に過ごすことができ、就職活動も有利に働くのではないか。もちろんこれまでの人生で経験のなかった個々の熱意の集合体に興味を持ったことは事実だが、1年生の春は何を楽しいと思っているのか、何度も自問していた。
のらりくらり続けて迎えた秋シーズン、日体大戦で最後の2-point conversionまで縺れる劇的な展開に、アメフトの意識が乏しいながらもこれまでにないくらいの感動があった。TDしたかと思われたときの喜び、取り消されたときの悲しさと相手側sidelineの一転した湧き上がりは今となっても鮮明に覚えている。最後の最後まで勝ちを目指す先輩の姿を見て「アメフトってこんなに楽しいんだ」と。
年が明け、いつのまにかASとしての作業に楽しさを感じていた。それまで黙々とサークル棟で行っていたHudlへのplayの打込みに加え、offense ASとしてdefenseの新しい知識が入り、何となくアメフトがわかってきた気がした。さらにJV期を通じてAS以外の部員とのコミュニケーションが増え、同期の存在を改めて知り、部に所属し続けたいと思った。
秋に向けて担当校として任せられた中央大は様々なsignを使い分けていることもあり、戦術面でのdefenseの奥深さを知って、自ら知識を吸収しようとする努力をこの頃からするようになった。全体共有の直前にscouting reportのデータが全部消えるハプニングがあったことはある種の思い出だ。report自体は2年生にしてはある程度のクオリティになったと思っていたのだが、一方でターム中のscrimmageで出すdummyのサインには、偏りが出てしまっていた。試合でoffenseが思うように発揮できなかったplayがあり、反省後に「お前のせいで負けた」と先輩に言われたときの悔恨は忘れられない。
offense ASに一学年上の先輩がいなかったことから、3年生で実質的に最上級生となった。今だから言えるが、2年生秋シーズンの後半ごろから妙に自信過剰になっていた。生半可な知識量と経験の無さから焦りを感じ、その気持ちを隠すかのようにそう思い込んでしまっていたのかもしれない。同期のASには「どの代のoffense ASよりも優秀なASになれる」と豪語していた。この自信、今となっては方向性としてあながち誤った感覚ではなかったと思う。3年生秋シーズン、この自信が同時に「優秀にならなければ」と自らに課す動機となり、優秀な同期ASとの競争心も相まって最大限の努力をし続けられるようになった。暇があれば取りあえずサークル棟でHudlを開き、寝る間も惜しんで自宅でもHudlを開き、scoutingの抜け・漏れを徹底的に潰していた。
ただ、それだけではoffense unitへの貢献に限界がある。いくらreportに詳細な情報を書けど、dummyへの指示を細かく入れど、offenseの選手に意図が伝わらなければ意味がない。これに気づくのが遅かった。JV期でコミュニケーションの大切さを学んだはずなのに、全くもって十分とは言えなかった。帝京大との入替戦、game clockが0秒となっても泣くに泣けなかった。貢献できたとは到底思えず、これまでの自分の努力を疑わざるを得なかった。同日の慰労会で、先輩に「今日のお前は貢献できなかったね」と言われてしまった。2年生を繰り返してしまった。
4年生となり、まずはscrimmage反省でpart unitに関係なく、反省点や提案を全部言ってみた。今まで暗に避けてきた技術面の指摘、意外と自分の知識量で的確なものが出せるのだと思った。同期の選手から信頼を得られてきたと感じていた矢先、チーム事情でplay callerを担うことになった。自分なら選手たちの意見を把握でき、field内・外の齟齬を小さくできるとのこと。従来のASとして理想的な集大成である姿を描き求めてきた自分にとって、ASとしてのグラウンドでの活動が制限されることに、正直なところ戸惑いがあった。4年目にして挑むこととなったcallは、play選択に正解を求めたら終わりがないと言われているなかで、未だに後悔する瞬間がある。周りに助けられながら自らに成長を求め続ける毎日だ。
下級生の成長は著しい。自分が2・3年生のときよりもよくdefenseを見れている。だからこそ、持っている知識をアウトプットする機会を、今のうちにたくさん掴みに行ってほしい。また、今年の秋は自分の担った担当校のdummy関連もお願いせざるを得ず、申し訳ない。
ASは楽だ。ASの作業自体は凡人でもできる。ただし、コーチングスタッフとしての活動を考えればそこに上限はない。その意味では、今の自分が担っている役割はASとして最大限に貢献できる機会なのかもしれない。「勝ったら選手のおかげ、負けたら自分のせい」。選手全員、そして自分自身を強く信じ、残り少ない試合に向かいたい。
最後となるが、日頃より多大なるご支援・ご声援をいただいているサポーターの皆様には感謝しかない。関係者全員の強い想いを胸に刻み、最後の日まで自らの成長を止めず、周りを成長させ、目標達成のために全力で精進することをここに誓う。