
「恐怖と誇りを抱えて」
記 2025.10.08
大学でアメフト部に入ったのは、高校でコロナ禍により最後までアメフトをやり切れなかった悔しさがあったからだ。どうせやるならボールを持ちたいと思い、OL経験者であることを隠してRBとしてプレーすることにした。
1年目を振り返ると、最初の記憶は怪我だった。入部して間もなく肉離れを繰り返し、何度も復帰に失敗した。軽度の怪我なら無理をすれば練習に出られたはずなのに、再発の不安があって踏み出せなかった。練習に出られない間は、声を出したりリハビリメニューをこなしたりして、少しでも自分にできることを積み重ねた。同期がTOP8という舞台で活躍する姿をうらやましく思う一方で、才能ある同期に自分は恵まれていることにも気づき、早く彼らと一緒にフィールドに立ちたいと思うようになった。
2年目は、やっと試合に出られるようになった春から始まった。初めてスタメン表に名前が載り、初めてプライドマークをもらい、初めて観客の声援を浴びた。褒められるたびに「続けていてよかった」と感じ、夏合宿あたりから徐々にRBとして自信を持てるようになった。だが秋シーズンで活躍したことで慢心が生まれ、ボールの扱いが雑になっていった。そして入替戦でのファンブル。試合中に泣き、自分のミスでチームが負けたことに打ちのめされた。降格が決まって初めて、自分の未熟さがチームに与える影響を理解した。
3年目は、ミスへの恐怖が重くのしかかった年だった。春シーズンの一橋戦でもファンブルをし、「自分は何も変わっていないのではないか」と強く不安を感じた。秋シーズンも、良いプレーをしても素直に喜べず、試合終盤には「ミスをしないうちに早く終わってほしい」とまで思った。活躍したい気持ちより、ミスを避けることばかりに意識が向いていた。そんな中でも前を向けたのは、RBの後輩たちの存在が大きかった。彼らは才能があり、努力を怠らず着実に成長していく。彼らの姿を見ると、理貴さんや納見さんが自分に示してくれたように、RBとしてのあるべき姿を見せなければという気持ちが湧き、自然と自分を鼓舞することができた。最後の入替戦を終えたとき、完全ではないが、少しずつ心が整理され、前に進む感覚を取り戻せた。
ついに4年目を迎えた。MASTIFFSの一員として過ごす日々の中で多くの人と関わるほど、自分が運ぶボールの重さを改めて実感する。ファンブルへの恐怖はいまだ完全には消えないが、尊敬するコーチやチームメイト、応援してくれる方々からボールを託されていると思うと誇らしい気持ちになる。自分は、OLが作った道を抜けTDしたときに盛り上がるサイドラインとスタンドの景色を見るのが何より好きだ。その景色をあと1回でも多く見られるよう、最後のシーズンも全力で走り抜けたいと思う。
最後になりましたが、日頃より多大なご支援・ご声援をいただいている後援会やOB・OG、ファンクラブの皆さまに心より感謝申し上げます。そして何より、わがままで自分勝手な自分を陰ながら支え続けてくれた家族には本当に感謝しています。残りの期間、MASTIFFSの一員として全力で戦い抜きますので、引き続き応援のほどよろしくお願いいたします。