【MASTIFFS ’20 Last essay#2】

TR 石塚治樹
182cm90kg。トレーナーである自分の存在意義を、ずっと考えてきた。

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182cm 90kg。自分の存在意義を4年間ずっと考えてきました。
私は小学校から高校までの12年間サッカーをやっていました。中学・高校で繰り返す怪我に悩まされ、ある意味で完全燃焼し、ある意味で不完全燃焼した私は、大学でサッカーを続ける気も体育会に入る気もありませんでした。アメフト部に声をかけられた時も、自分の脳内では”部活””男性”=Playerであり、サッカーでもFW(フォワード)という点を取る目立つポジションだった自分に、裏方のスタッフという選択肢はありませんでした。
そんな時、当時女性しかいなかったトレーナーという役職を先輩に勧められ、考えが一転しました。高校まで自分が怪我で苦しんだ際、支えてくれた理学療法士やコーチの存在に救われた経験から、「今度は自分が怪我で苦しむ選手の力になりたい」と思い、トレーナーとして入部を決めました。学生トレーナーは女性しかいないことに少し怯えていましたが、先輩方やコーチの方々に温かく迎え入れていただき、実はこの風貌で甘え上手な末っ子というスキルも奏功して(?) 不自由なく活動させてもらいました。
スタッフは自分でPlayしていた時と異なり、自分の活躍=勝利となることは稀です。しかし、それでも勝った時には自分のことのように嬉しく、負けた時は何もできない悔しさやもどかしさを感じます。

182cm 90kg。入部しようとした際も何度も選手をやらないかと言われ、今でも同期や先輩にはOLへのコンバートを煽られます。初対面の人に「アメフト部です」というと「道理でその体」「ポジションは?」と何度も聞かれました。面倒になって選手の“てい”で話を進めたことも何度かあります。(ごめんなさい)自分はアメフトをしたことがないにもかかわらず、選手に「こうしろ」「ああしろ」と口うるさく言い、嫌がられてきた自負はあります。自分が選手ならやりたくないこと、面倒なことも、嫌われる覚悟で選手に言ってきました。チームが、選手が強くなるため、自分ができる最大限のことを尽くそうとしてきました。
部活を辞めようと思ったことは何度もあります。もはや辞めたいと思っていなかった時の方が少ないかもしれません。しかし、「辞めたい」「逃げたい」と思った時、踏みとどまれたのは、同期と満足のいく結果を残し、笑顔で4年間を終える姿をイメージしてきたからです。自分の在籍したそれまでの3年間は、先輩方が素晴らしい成績を残されてきたものの、最後にあと一歩が及ばず涙を飲む姿を見てきました。自分たちの代ではTOP8に行く、もしくはTOP8で良い成績を残して引退する、それが自分の原動力でした。このような世間の情勢の中、どこか予想はしていたものの、実際に「昇格無し」という現実を突きつけられると、言いようのない気持ちになると共に、試合で負けたわけでもないのに自然と涙が流れました。

182cm 90kg。私のポジションはトレーナーです。チームとしては初の、4年間選手ではなく男性のトレーナーとして活動した日々にも終わりが見えてきました。”182cm 90kgの選手1人分”のチームへの貢献はできているか、当初思い描いていたような、怪我で苦しむ選手に寄り添えるトレーナーになれているか、男性トレーナーとして何かチームに良い影響を与えられたか、分かりません。しかし昇降格もない今年度、自分たちがこのチームに残せるものは目の前にある一つひとつの練習、Play、試合、仕事に『熱く』取り組み、最後まで『戦い』『やりきる』姿です。最後の1秒までその姿を見せることができた時、自分にも存在意義が生まれるのかもしれません。

このような状況でも支援してくださる後援会、OB・OGの皆様、また秋リーグ戦の開催に当たり、尽力してくださった全ての方々に心から感謝いたします。試合を行えることに感謝し、一戦一戦戦っていきたいと思います。今年度はスタンドから一緒に戦うことはできませんが、本リーグ戦も、そして今後もMASTIFFSを応援していただけますと幸いです。