【MASTIFFS ’20 Last essay#15】

AS 宮﨑泰成
AS(アナライジングスタッフ)での経験から、
他者貢献という軸を得た。

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「誇れる4年間を送れる環境に身を置きたい。」

その思いで新歓に参加していた1年生の春。

『熱い』思いをもって部活に打ち込んでいる先輩方の姿に心を打たれ、「ここでなら誇れる4年間を送ることができる。」と思い、入部を決意しました。

中でも、裏方でありながら、戦術面で勝利に貢献する仕事を誇らしく語る先輩に憧れ、ASというポジションを選びました。

 

4年間の中で自分の転機は3年生のときにあったと思います。

一つ上の先輩ASがおらず、自分がASのチーフを務めることになりました。

歴代で最も人数が多くなったASチームのリーダーである一方、当時の自分にはスタッフとしての自覚が全く足りていませんでした。

気づけば、多くの後輩が部を去っていきました。チーフである自分が、後輩たちの活躍の場を引き出してあげられなかったのです。

一人のASとしても、チームを勝たせる要因となるような結果を出せず、選手として頭角を表す同期を見て劣等感を覚えていました。

 

このままで良いはずはない、だけどどうすれば良いか、分からない。

自分はチームの一員として、スタッフとして、どうありたいのかを見失っていました。

 

そんな中チームは代替わりし、

4年生同士のミーティングが重ねられていました。

そこである同期が自分に対して発した

-「泰成はスタッフだからと、どこか一歩引いて見ているところがあるんじゃないか。」-

この言葉に、ハッとさせられました。

自分の自信の無さを隠すために、使えない存在だと思われたくないために、部活に対して本気で向き合うのを恐れていたことに気づいたのです。

 

ただ漫然と参加しているだけでは、誇らしい4年間など絶対に手に入らない。

主体性をもって参加してこそ、得られるものがあるのだということをそこで初めて痛感しました。

 

それからは、どんなに細かいことでも、チームのためになることは進んで引き受け、思ったことは勇気を出して口にすることを決めました。

ASとしても「自分の成果物にどんな価値があるのか?」を自問し、改善を繰り返しました。

 

そうした試行錯誤を重ねて見えてきたのは、

自分のことを必要としてくれる周囲の存在があることと、その人たちのために頑張れることがとても有り難く、喜ばしいことだということでした。

その有難さに気づいてから、以前のような悩みを持つことは自然と無くなっていました。

“相手のために”ということを自分の考えの軸として持てるようになっていたからです。

 

まだまだ目指すべきところはありますが、

下級生の頃はチームの「お客さん」で、人の後ろを付いて歩くだけだった自分を変えてくれたのは、

MASTIFFSの仲間とコーチの方々の存在があったからです。

 

そんなチームで過ごしてきた4年間を、本当に誇りあるものだったと証明するチャンスも残り僅かになりました。

結果は全て、自分がどれだけ『やりきれたか』に懸かっていると思います。

そのことを胸に、最後の最後まで『熱く戦い』続けます。