【MASTIFFS ’20 Last essay#18】
DL#98 八石貫志
最後までアメフトを楽しんで『やりきり』たい
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高校からアメフトをやって現在7年目になる。もちろんアメフトをやってきてよかったと思うことはいっぱいあるし、良い思い出も沢山ある。しかし僕はアメフトという競技自体がそこまで好きというわけではなかった。学生の間だけアメフトをやれれば十分だと思っていた。高校時代はみんなで一生懸命練習したり目標を立てて頑張ったり、そんな時間を共有するのが楽しくて続けているだけだった。大学でもそんなことがしたいなと思って横浜国大に来た。最初は浪人生活を経て久しぶりにやりたかったことができた喜びでとても楽しかったが、経験者という大きすぎる肩書を背負って入部した僕はなかなか同期と仲良くなれず、一緒に練習する機会もなかったので同期と距離がますます空いてしまい寂しかった。その後色々あって同期と仲良くなれてとても楽しかったが、流れるようにアメフトをやっていた僕はアメフトの方があまり上手く行かず、何度か辞めてしまいたいと思ったこともあった。ただ高校でアメフトを経験した貯金で何とかなる相手ばかりでモチベーションも高くはなかったし、負けることもなかったのでこれでいいやと思っていた。
3年時の秋リーグ戦で当時はBIG8であった桜美林大学と当たることになった。去年も対戦した相手だし今年もなんとかなるだろうと軽く考えていた。しかし、真正面のOLがとにかくでかくなっていた。TOP8との試合以外で初めて「勝てない」と感じた。こいつがこの1年一生懸命やってこんなに強くなった間、俺は何をしていたんだろうかと思い、情けなくなった。
4年生になる前に同期のみんなから「八石ならもっとやれるだろう。」と怒られたのを良く覚えている。みんな期待してくれていたのにその期待に答えられていない自分が悔しくて最後のシーズンくらいはその期待に応えたいと思った。そして副将を任せてもらうことになった。その矢先、新型コロナが大流行し部活ができなくなり、更に母の癌が悪化し介護のため部活に参加できず、副将としての責任を最後のシーズンで全うできない自分を情けなく思った。そのうち母が亡くなった。父も体調を崩し、苦しい日々が続いたが、4年生になってから新Defenseコーチにご指導いただいたことで初めて社会人でもやりたいなと思うほどにアメフトの楽しさを体感することができた。アメフトが楽しい、もっと上手くなって相手をびっくりさせてやりたいと思えたのは7年間アメフトをやってきて初めてだった。MASTIFFSのみんなとアメフトができる、そして何とかシーズンを迎えられることが支えだった。最後まで僕の試合を観るために良くなろうと頑張っていた母のためにもシーズンを楽しんでやりたいと思えた。結果、新型コロナという災難に見舞われ、試合は多くとも5試合という短いものであったが、MASTIFFSでの最後のシーズンでリーグ戦の4試合を戦うことができた。一番楽しいアメフトを同期のみんなと一緒にできたことが本当に嬉しいし幸運だったと思っている。今は最後の試合に向けて練習しているが、最後の試合ができてもできなくても、あと数回の練習を楽しんで『やりきり』たいと思っている。