【MASTIFFS ’20 Last essay#20】

OL#74 飯島大貴

大切なのは、自分が輝ける場所で正しい努力を積み重ねること

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最初にMASTIFFSの存在を知ったのは下宿する家を探しに横国の生協を訪れた時でした。当時184センチ64キロというパリコレモデル体型だった私はアメフト部に入部することなど少しも考えておらず、野球サークルに入って楽しく野球をすることしか頭にありませんでした。しかし行動力のない私は野球サークルがどこで活動しているのか全くわからず、野球サークルに入るという夢は叶いませんでした。失意のなか、友達に連れられて行ったアメフト部の練習見学会で初めてみた生のアメフトに感動し、気付いた時にはゴリゴリマッチョを目指して食事とトレーニングに打ち込む日々を過ごしていました。

入部して最初の数ヶ月は「ディフェンスの司令塔」という響きに憧れ、LBを経験したもののサインや動きが全く理解できず、怪我もして周りについて行くことができませんでした。「自分は試合に出られるのだろうか。」と困り果てていたところにOLの先輩から声をかけていただき、1年生の10月にOLにコンバートすることになりました。今振り返るとこのコンバートが4年間のターニングポイントだったように思います。OLに転向した後はLBだった時には参加できなかったスクリメージ練習に毎日のように参加できました。試合形式の練習で何度も失敗を積み重ねられたことが大きな成長に繋がったと思います。結果的に2年生からたくさんの試合に出られて、そこからの3年間で何度も痺れる試合を経験させてもらいました。目標としていた『TOP8昇格』を果たすことができなかった悔しさは残るものの、個人的には非常に充実した4年間を過ごすことができたと思います。

後輩の皆さんへ

私がMASTIFFSで活動するうえで学んだことが2つあります。1つ目は正しい努力を続けることです。例えば体重を増やしたいからと言ってとりあえずカロリーの高い菓子パンやお菓子などをたくさん食べても太るだけで強い体は作れません。ヒットの練習においても良くない形で量だけこなすだけでは技術は上達しません。人の指摘に耳を傾けて正しい方法・形を身につけること、そしてそれを続けることがどれほど大切かこの4年間で痛感しました。そして2つ目は適材適所の大切さです。人には生まれ持った能力や身体的特徴があります。アメフトはその全てを活かせるスポーツだということは皆さんも知っていると思います。今やっているポジションで燻っている人もきっとその能力を活かせる場所があるはずです。周りを見渡して自分を活かせる場所・チームに貢献できる場所をもう一度探してみてください。

体作りやアメフトの技術、どちらも1日で劇的に変化するものではありませんし、ポジションを変えたとしてもすぐに結果が出るとは限りません。時には悔しい思いをすることもあると思いますが、地道に努力を積み重ねた日々は必ずTOP8へとつながっているはずです。自分が輝ける場所で正しい努力を積み重ね、来年こそは『TOP8昇格』を成し遂げてください。

最後になりますが、日頃よりMASTIFFSを応援してくださる皆様に感謝申し上げます。大変イレギュラーな1年になりましたが皆様の応援のおかげでこうして1年間『やりきる』ことができました。これからも変わらぬご支援・ご声援のほどよろしくお願いいたします。

【MASTIFFS ’20 Last essay#18】

【MASTIFFS ’20 Last essay#18】
DL#98 八石貫志
最後までアメフトを楽しんで『やりきり』たい

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高校からアメフトをやって現在7年目になる。もちろんアメフトをやってきてよかったと思うことはいっぱいあるし、良い思い出も沢山ある。しかし僕はアメフトという競技自体がそこまで好きというわけではなかった。学生の間だけアメフトをやれれば十分だと思っていた。高校時代はみんなで一生懸命練習したり目標を立てて頑張ったり、そんな時間を共有するのが楽しくて続けているだけだった。大学でもそんなことがしたいなと思って横浜国大に来た。最初は浪人生活を経て久しぶりにやりたかったことができた喜びでとても楽しかったが、経験者という大きすぎる肩書を背負って入部した僕はなかなか同期と仲良くなれず、一緒に練習する機会もなかったので同期と距離がますます空いてしまい寂しかった。その後色々あって同期と仲良くなれてとても楽しかったが、流れるようにアメフトをやっていた僕はアメフトの方があまり上手く行かず、何度か辞めてしまいたいと思ったこともあった。ただ高校でアメフトを経験した貯金で何とかなる相手ばかりでモチベーションも高くはなかったし、負けることもなかったのでこれでいいやと思っていた。

3年時の秋リーグ戦で当時はBIG8であった桜美林大学と当たることになった。去年も対戦した相手だし今年もなんとかなるだろうと軽く考えていた。しかし、真正面のOLがとにかくでかくなっていた。TOP8との試合以外で初めて「勝てない」と感じた。こいつがこの1年一生懸命やってこんなに強くなった間、俺は何をしていたんだろうかと思い、情けなくなった。

4年生になる前に同期のみんなから「八石ならもっとやれるだろう。」と怒られたのを良く覚えている。みんな期待してくれていたのにその期待に答えられていない自分が悔しくて最後のシーズンくらいはその期待に応えたいと思った。そして副将を任せてもらうことになった。その矢先、新型コロナが大流行し部活ができなくなり、更に母の癌が悪化し介護のため部活に参加できず、副将としての責任を最後のシーズンで全うできない自分を情けなく思った。そのうち母が亡くなった。父も体調を崩し、苦しい日々が続いたが、4年生になってから新Defenseコーチにご指導いただいたことで初めて社会人でもやりたいなと思うほどにアメフトの楽しさを体感することができた。アメフトが楽しい、もっと上手くなって相手をびっくりさせてやりたいと思えたのは7年間アメフトをやってきて初めてだった。MASTIFFSのみんなとアメフトができる、そして何とかシーズンを迎えられることが支えだった。最後まで僕の試合を観るために良くなろうと頑張っていた母のためにもシーズンを楽しんでやりたいと思えた。結果、新型コロナという災難に見舞われ、試合は多くとも5試合という短いものであったが、MASTIFFSでの最後のシーズンでリーグ戦の4試合を戦うことができた。一番楽しいアメフトを同期のみんなと一緒にできたことが本当に嬉しいし幸運だったと思っている。今は最後の試合に向けて練習しているが、最後の試合ができてもできなくても、あと数回の練習を楽しんで『やりきり』たいと思っている。