
「僕が一番欲しかったもの」
記2025.9.21
下級生の頃から先輩方のLast Essayを読んで、その覚悟に触れてきましたが、ついに自分の番だと思うと残された時間の短さを感じます。自分は文章を書くのは得意でないため、これまで感じたことを素直に書いてみようと思います。
大学ではぶつかる系のスポーツがしたいと馬鹿みたいな考えをしていた私はアメフト部とラグビー部で入部を迷っていた。どちらも人は良く、ぎりぎりまで悩んだが最終的にはTOP8という最高の舞台で戦う強いチームでやりたいという理由でアメフト部を選んだ。多分、高校の時に負け癖がつき、なーなーでやっていたサッカー部時代の自分を変えたかったのだと思う。
しかし、TOP8は甘くなかった。早稲田戦ではRBにカットとスピードで翻弄され、慶應戦では試合中に記憶が飛ぶほどパスを通された。チームは降格。7人いたDBの同期は年が明ける頃には、関だけになっていた。TOP8の舞台で見せつけられた現実と辞めていく同期。「TOPに上がっても勝てない」自分が打ち込む4年間の限界が見えた気がした。
2年生になった。チームは秋全勝を掲げ、TOP8に返り咲くための再スタートを切った。1年生の時に感じた懸念は消えなかったが、自分も純粋に新しいBIG8という舞台に少しの期待とワクワク感を持って挑むことができた。大一番の国士舘戦ではチームとして初めて勝ちの実感を得ることができた。そんな中、迎えた帝京戦。帝京大学に敗れ、2部降格が決まった。ある後輩は「横国ならTOPでやっていけると本気で思って入部した。こんなはずじゃなかった」と本心を打ち明けて辞めていった。TOPの舞台に引け目を感じていた自分は結構食らってしまった。結局、負けに慣れてしまい闘争心も目的意識もない高校の時の私から変われていないのだと痛感した。
3年生になった。アメフトを続けるのは、競技やMASTIFFSの魅力と少しの義務感からであり、明確な目標や目的意識はないままであった。そんな中迎えた秋初戦。東工大と競り合う展開の中でインターセプトをすることができた。サイドラインでチームメイトやサポーターの方が喜んでいる姿を見て、胸が熱くなった。自分の中で何かが変わった気がした。自分がどう思うかなんてどうでもよく、自分に関わってくれる人が喜ぶ姿が見られるだけで十分なのだと分かった。
4年生になった。
私達にBIG8という舞台をつないでくださった先輩方。
チームのために覚悟を決め、戦ってくれる後輩。
試合後、励ましの言葉をくださるサポーターの皆様。
厳しい状況を何度も共に乗り越えた同期。
最高学年になった今、大好きな人たちのいるこのチームのためなら頑張ろうと思える。
私の好きな槇原敬之氏の歌詞にこんな一節がある。
「僕のあげたものでたくさんの人が幸せそうに笑っていて、それを見た時の気持ちが僕の探していたものだと分かった。」
思えばアメフトをする理由をどこか頭の片隅で探していたような4年間だった。もう答えは出ているはずだ。最後の一年、最高の仲間と歓喜で埋め尽くされた素晴らしい景色を見に行きたいと思う。
後輩へ
最高学年でもないのに、自分事として捉えて必死になれる後輩の皆さんは私の大きな原動力でした。私が合宿の離脱を余儀なくされた時、関からDBの後輩たちが私のいない分まで頑張ろうとしているという話を聞き、涙が溢れそうでした。無理をさせて申し訳ないですが、もう少しの間、力を貸してください。
同期へ
降格と昇格、決して順風満帆でない密の濃い4年間を共に乗り越えたみんなはとても大切な仲間です。最後のシーズン、悔いを残さないようやり抜こう。
両親へ
アメフト部に入る時を含む多くの選択の場面で反対せず、背中を押してくれてありがとう。これまでたくさんの迷惑をかけた分、行動で恩返ししていきたいと思うので待っていてください。
最後になりましたが、後援会やOB・OG、ファンクラブ、スポンサーの皆様、日頃よりご支援・ご声援を賜りましてありがとうございます。今年掲げた『常昇』を体現し、シーズンを駆け抜けて参りますので、変わらぬ温かいご支援・ご声援のほどよろしくお願いいたします。